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TOVの文字置場。



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 「痛かったっしょ?」
 唐突に、レイヴンはそう切り出した。宿に入って、すぐの事だ。
 「何だよ、いきなり」
 初めは、先の魔物との戦闘で僅かに掠った腕の傷の事だろうかとユーリはそう考えたが、その傷はすでにエステルに癒してもらっている。痛いという程、傷らしい傷でもなかった。ユーリが問うと、レイヴンはへらりとだらしなく笑って部屋の手続きをしているジュディスを見やり、そしてユーリに示すように視線を宿の入口へと向ける。ゆったりと、その足が扉に向った。
 ついてこい、と言う事らしい。
 幸い、宿を取った後は概ね自由行動になっているのでここでふらりと姿を眩ませても不審に思う者はいないだろう。唯一、宿を出る際に視線がかち合ったジュディスに、行ってくる、と視線だけで告げるとさすがに敏い彼女は、こくり、と目を細めて微笑むようにして頷いた。
 このカプワ・トリムという街は街を治めているカウフマンのおかげもあってか、随分と活気よく、それでいて治安も整っている。数ある街の中で、とてもすごしやすい部類に入るだろう。物流貨物が搬入されている時は少し慌ただしくも感じるが、それさえ収まってしまえば今のように港は静かな、恰好の憩いの場になっている。人は疎らで、あるのは穏やかな波の音とほのかに香る潮風だけだ。澄み切った青空と、深い青をした海がどこまでも伸びている、それをぼんやり眺めているだけ時間を忘れてしまいそうになった。
 レイヴンは、その港までふらりと歩みを進める。埠頭でぴたりと足を止めると、少し離れて足を止めたユーリを振り返るでもなく、海を眺めながら口を開いた。
 「ザウデから、落ちた時の傷」
 高く纏めた黒髪が、ふらふらと実に彼らしく揺れている。それを眺めていた所為で、一瞬反応が遅れてしまう。ああ、あの時の事か。すぐに思考を巡らせたが、視線は目の前の、少し丸められた背中から離れなかった。
 「エステルから聞いたのか?」
 それ以外に、彼が傷の事を知る余地は無い。
 彼は答えなかったが、代わりに何かを懐から取り出したようだ。振り向かないまま、左手に握ったそれを背後のユーリに見せる様に腕を伸ばす。握られていたのは、短刀だった。だが、彼が腰に差しているものとは違う。
 それでも、見覚えはあった。はっきりと見た記憶はないが、覚えていた。
 「あの状況でどう落ちても、脇腹に傷を負うなんて事は難しいのよね。刺傷なら余計、だ。人為的なもの以外、説明は難しい……ってね」
 それは、間違いなくユーリの腹を貫いたものだ。
 「…どうして、あんたがそれを持ってるんだ。それに、刺傷って」
 エステルがそこまで説明した事は、考えづらい。彼女にはそれが刺傷であるという判断までは出来ても、状況を突きつめてその原因を考える、等という事は出来ないからだ。出来ない、というよりはしない、と言った方が正しい。傷を癒す事が最優先、そう言う少女だ。
 ならば、何故あの場に居なかったこの男がそれを知っているのか。
 顔を見れば、少しはこの男の考えが分かるだろうか。ユーリは踏み出し、その男を強引に振り向かせようかと考えたが、止めた。そもそも、考えを顔に出すような男ではないのだ、このレイヴンという男は。
 「傷については、たまたま出くわしたデュークが教えてくれたのよ。おかげ様で、生きてるって分かってたから心配する必要もなかったわけ」
 「元々、そんなに心配してなかっただろ」
 「失礼ねー。おっさんは心配で心配でもう、胸が張り裂けそうだったわよ」
 こんなもの見つけちまったしね、と漸くレイヴンはくるりと振り返って見せた。掌で短刀をくるりと器用に回すと、ぱちん、と簡素な装飾を施された鞘にそれを納める。そこには見覚えのある、騎士団のマークが入っていた。
 「それも、デュークから預かった…って訳じゃ、なさそうだな」
 「そこまで気が利いたら、奴さん今頃もっと柔らかい性格になってるって」
 「そりゃそうだ」
 相変わらず、だらしない笑みを浮かべている。はためく裾が煩わしくないのか、なんてぼんやりと考えているとレイヴンはほんの僅か、目を細めて手元の短刀を見やり、静かに口を開いた。
 「これは、まぁ…あの後、みんながバラバラになって騎士団に回収されたってのは、嬢ちゃんから聞いたっしょ?その時、どさくさに紛れてそっち側に行ったのよね。その時拾った、って訳。血がついたまま、ね」
 確かに、エステルの言葉通りである。あの巨大な聖核が落ちた混乱で、散り散りになったと言っていた。聖核に隔てられたユーリの側に来るのは困難だったからこそ、彼らとは逸れたのだ。
 (なのに、態々こっち側まで来た?)
 その理由には、思い当たる節があった。
 「…アレクセイが生きているかどうか、確認にか?」
 ぴくり、とレイヴンの肩が震える。彼にしては珍しく、動揺した風だ。
 おたおたとわざとらしく視線を彷徨わせ、おどけたその仕草に誤魔化す気なのかと思っていたがやがて、はぁ、と盛大な溜息を吐きだしたレイヴンは再び、くるりとユーリに背を向け肩を落とし、丸い背中を益々丸めて「青年には敵わないわ」と小さくぼやいた。その呟きは小さく、ともすれば波の音に飲まれかねない程で、よく聞き取れたものだと思う。
 「………無事に死んでいてくれればい。そう思った」
 「レイヴン…」
 「ははっ…酷いモンよねぇ、かつての上官だってのに」
 ざぁ…、と自嘲めいた響きを覆うように波音が響いた。
 驚くほどに、その背中は小さく見える。きっと肩を落としている所為だろうと分かっていても、妙に痛々しく見えてしまう。時折レイヴンの零す、かつてのアレクセイの姿、それへの信頼を思い知ったような、そんな気がした。
 それと同時に、身体は意識とは関係なく動いていたようだ。
 「…あのね、青年」
 呆れたような声が、間近に響く。皆まで言うな、ユーリも己の行動に頭を抱えたくなった。無意識なのだから、言い訳のしようもない。
 「あー…、おっさんが今にも海に飛び込みそうだと思って」
 「いやいやいや、それでこうはならないでしょ」
 そりゃあそうだ、と口にしておきながらユーリも思った。
 飛び込もうとしている相手を引きとめる、というのならもっと強引に引き寄せている筈。今、ユーリがとった行動はそうではない。どちらかといえば、背後からやんわりと抱き込んでしまった、と言った風だ。お陰で、レイヴンの纏めた髪が頬にあたりくすぐったくて仕方がない。
 「…なーんか、青年はおっさんをペットか何かと勘違いしてない?」
 前も何度かこんな事があった、と腕の中に収まったままろくな抵抗も見せずにレイヴンがぼやく。そう言われてみれば、こうしたふとした瞬間に触れている事は、少なくなかった事を思い起こす。いつだったか、ごく自然に唇を重ねた事すらあったような気がする。それも、無意識に、だ。
 ペット、と言うには過剰だろう。そもそも『おっさん』である。
 (だったら、何だって?)
 「……。…そういえば、その短刀」
 「え、このままで話進めちゃうワケ?」
 触れる理由など、そう多くは無い。ましてや衝動的に、となると答えはあまり喜ばしくない方へと向かって行ったので、ユーリは強引に話を押し進める事にした。とはいえ、抵抗されない以上は話す気もないので、レイヴンの言葉は聞かないふりをしておく。
 「騎士団の、だったんだな」
 「進めるのね…。あー、まぁ、騎士団でも持ってる人間は限られるけど」
 諦めたようになすがまま、腕に捕えられたままレイヴンも話を続けてくれるようだ。とはいえ背中を預ける程、気を抜いている訳でもないようだ。
 「こういうのは女性兵士か、後方支援型の兵士の護身用に持たされるのよね」
 なるほど、と思った。確かに、フレンは持っていない。
 ふと、レイヴンが黙り込む。どうしたのか、と覗きこもうにも背後から抱きよせたこの態勢では、それは難しい。仕方なく彼が口を開くまで、ぼんやりと空を眺めているとようやくレイヴンは口を開いた。
 「あの娘も、悪い子じゃないんだけどね」
 その言葉に、今度はユーリが黙り込む番だった。
 悪い人間ではない、分かってはいても好きにはなれない。誰にだって、そういうものはある。そう言う思いもあったが、何よりレイヴンが犯人に気づいている、その事に驚いた事の方が大きい。
 「一生懸命で、真っ直ぐで、だから融通が利かない。誰にも相談せず、一人で抱え込んじまうから、思いつめちゃうんだろうねぇ。ほら、青年が想い人とあんまり仲いいもんだから、妬いちゃったんじゃないの?」
 「それで殺されちゃ、世話ねぇけどな」
 「違いない」
 肩を揺らしてレイヴンが笑うと、一緒に髪が揺れて鼻先を擽った。
 「…でも、どうしてあいつだって分かった?」
 「ん?そりゃあ、様子がおかしかったから。コレ持った俺様みて真っ青になるし、声かけてみりゃあっさり……ってなもんよ」
 恐らく、カマを掛けて自白させたのだろう。女性に関しては博愛主義と云えど、そこはやはり隊をまとめる騎士団の隊長としての風格がある、と言ったところか。本人に言えば「そんなんじゃない」と苦い顔をするだろうが。
 また、風が吹いた。日が傾き始めて、あたりが青からじわりと赤に染まりつつある。風に揺られた髪がまた、鼻先を擽るのでたまりかねて束ねた髪に顔を埋めると、自然と回した腕にも力が籠りレイヴンが身体を強張らせたのが分かった。
 「ちょっ…、青年、ほんとどうしちゃったのよ?」
 それでも離す気にはなれず、じっと抱きしめたままでいるとようやく、彼の身体から力が抜けて諦めたようにため息交じり、背を預けてくる。
 「……こんなおっさんといい雰囲気作って、どうするっての…」
 まったくだ、とそのぼやきには内心賛同しておいた。
 そもそも日が沈みはじめた静かな海辺、なんていういかにも女性が好みそうなシチュエーションで、腕の中にいるのはおっさんだなんてのは、笑い話にすらならないただのうすら寒い話である。
 それでもやはり、離す気にはなれなかった。
 (ほんと、どうかしてるんだろうな)
 どれくらいそうしていれば気が済むのか、それすらも分からないまま、それでも許される限りユーリはただ、思いの外温もりの浅い身体を捕らえたままだった。















妄想も甚だしい話。
おっさんがあんまり心配してなかった、っていうのとソディアの事知ってるくさいってのもあってこんなわけのわからない妄想に^p^
でも おっさんが事情を知ってると もえる なぁと(そうですか


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 ダングレストは、常の活気を失い静まり返っていた。喪に服している、というには行き過ぎている程に静かな、そして悲壮な空気を纏い、それでも川を跨ぐ橋から眺める夕焼けは、恐ろしい程に生き生きと赤く燃えていた。
 当たり前だ。亡くしたのは、ただの1人。この街の主だけだ。それは、世界にとってはただの一片にしか過ぎず、それを喪ったからと云って世界の何が変わる訳ではない。変わるのはただ、人の営みの1部だけだ。
 世界は冷たい。そんな風に思った。
 ここで雨でも降らせてくれれば、共に嘆いてくれているのだろう、と都合のいい事を考えられただろう。そんなのはただの感傷だと、知ってはいる。それでもそんな風に考えたのは、己が思う以上に失ったものの存在が大きかった所為だ。
 (まいったな)
 不意に、風が不甲斐無い背を叩く様に強く吹いた。
 「こんな所で何やってんだ、おっさん」
 それは実際に、叩かれていたらしい。恐らく自分に向ってかけられた声だ、ゆっくりと振り返ると背後からの風を受け長い黒髪を靡かせた青年が、呆れたようにこちらを眺めていた。青年は、ゆっくりと歩みを進めるとやがて肩を並べ、振り返り夕日に背を向けた己とは真逆を、夕陽に視線を向けている。横目でちらりと伺えば、それは睨みつけているようにも見えた。
 「空気の読めない青年ねぇ。ここはこう、黙ってそっと優しく慰めてだな」
 「…俺が、おっさんをか?」
 「………。…女の子になってから、出なおしてらっしゃい」
 お互い違う方向を向いたまま、そんな軽口をたたき合う。
 どうやらこの青年は、意外にも心配してくれているようだ。そうでなければ、わざわざ宿を抜け出して様子を見に来る筈もない。
 (全く、どこまで強いんだか。この青年は)
 本来ならば、一番辛い立場に立たされているのはこの青年であった。なにしろ、自ら腹を切ったこの街の主の介錯を務めたのは、この青年なのだ。不本意ながらも、主を慕っていた街の人間から鋭い視線を向けられる事も、無くは無い。分かっていても今はまだ、誰もが感情を整理できる時ではないのだ。
 それでも青年は、実に堂々としていた。
 そう、見えていた。
 (…そりゃそうか)
 だが、不意に覗き見た彼の腕は微かに震えている。それに気がついた時、整理しきれていなかった頭の中が妙にすっきりと片付いた気がした。
 この青年もまた、平静に見せかけても感情が追い付かないうちの一人だ。きっと、誰よりも重いものが胸の内に在るのだろう。
 (それに比べ、情けないもんだ)
 相変わらず、互いに視線は交わらないまま時が流れている。さて、ここはどうしたものかと考えた。素直に手の震えを指摘して、揶揄って気を紛らわせるべきか、それとも―――。
 「青年。手、貸してみ」
 「…はぁ?手、って」
 「いいから、ほれ」
 ようやく身体ごと青年へと向ければ、彼もまた、僅かに面喰ったようではあったが身体をこちらに向け、躊躇いがちに戦闘魔導器を嵌めている左腕を差し出してきた。いつも剣を握っている、彼の利き腕だ。
 いつしか、夕焼けはゆったりと沈みはじめ辺りを染めるのは、赤ばかりではなくなっていた。じわりじわりと落ちはじめた闇に、何物にも染まらない青年の黒髪が、やがて溶けてゆくのだろう。風に靡くそれを眺めながら、差し出された掌をそっと己のそれで包み込んだ。
 あまり大きさに、違いはない。
 「…よっぽど参ってんのな」
 「あのね…。ほんと、空気の読めない青年ねぇ」
 とはいえ、確かに男の手を握るなど己でもどうかしていると思える行為だった。やはりここで、手が震えている事を揶揄ってやろうかとも思ったが雑念を押さえこむと、握った掌へと視線を落とした。
 「……ありがとさん。今回ばかりは、頭が上がんないわ」
 震えとは別に、ぴくり、と掌が揺れる。
 どういう顔をしているのかは、見ない事にした。恐らく青年も、見て欲しくは無いだろう。それくらいは、察する事が出来た。
 「いや、いつも上がってないだろ」
 「だから空気を読みなさいってば…。まぁ、独り言だと思って聞いて頂戴よ」
 相変わらずの調子に思わず笑みが零れそうになったが、裏腹に手の震えが止まっていない事が胸を突く。いったいどんな顔をしてこんな軽口を叩いているのだろうか、気にし始めると顔色を窺ってしまいそうになるので、ゆっくりと瞼を下ろした。そうする事で、握った掌の震えが余計大きく感じてしまった。
 「本当は、俺がするべきだったのよね。そういう立場だったから。でも、名乗り出る事が出来なかった。怖かったのよ。情けない話だけど、怖かった。あのじいさんには世話になったから、恩返しだと思ってみても、俺は、あの人を斬る事だけはしちゃいけない。もし、そんなことしたら」
 (多分、『レイヴン』という人間は居なくなる)
 ギルドの人間として、最大の拠り所を己の手で消してしまえば、きっともう戻る事は出来なくなると、そう怯えてしまったのだ。それはシュヴァーンの功績になるだろう。それは、レイヴンとしての死とも等しい。それが、怖い。
 (今更、死ぬのが怖いって?どうかしてる)
 死人の分際で、今更何が恐ろしいというのか。
 言葉が途切れて、沈黙が訪れた。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、いつの間にか視界はさらに暗くなっていた。そろそろユニオン本部へと戻らなければならなかった、まだやるべき事は山積みなのだ。
 「まぁ、あれだ。兎に角、そういう事……」
 不自然ながらも、常の胡散臭さで誤魔化そうとおどけて顔を上げようとしたが不意に握った腕を引かれ、己の意志とは関係なく顔が上向いた。額に、何かがこつんとぶつかる。ぶつかる、と言う程の衝撃ではない。何が、と思うより先に今度は唇に何かが触れた。
 さらり、と己のものではない長い黒髪が頬にかかった事に気がついて、目の前にある輪郭すら捉えられないものが青年の顔だと気がついた。
 「手、震えてんぞ」
 「…だからって、おっさん相手にする事?」
 「いや。何となく、そういう雰囲気かと思って」
 あっさりと顔を引いた青年は、まるで答えになっていない言葉をやはりあっさりと返すと、するりと握っていた手を解く。その瞬間に気がついたのは、青年の震えが止まっている事だったか。それとも、思いの外その掌が熱かった事か。
 (参ったね、これは)
 その掌が、名残惜しいと感じた。
 「ほら、レイヴン。いい加減戻らないと、仕事山積みだろ?」
 解かれた掌は、今度は彼から差し出される。
 レイヴンは、思わずため息を零した。思いの外振り回してくれる掌に、結局何度も救われている。もしかしたらこの掌は、最後の最後まで己を救ってくれるのではないかと、そう思い始めていたのかもしれない。
 救いとは、他でもない。
 「うへー。おっさんを酷使したら、過労で死んじゃうわよー」
 いつか、その掌でこの茶番劇を終わらせてくれるのならば。




 
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