TOVの文字置場。
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ダングレストは、常の活気を失い静まり返っていた。喪に服している、というには行き過ぎている程に静かな、そして悲壮な空気を纏い、それでも川を跨ぐ橋から眺める夕焼けは、恐ろしい程に生き生きと赤く燃えていた。
当たり前だ。亡くしたのは、ただの1人。この街の主だけだ。それは、世界にとってはただの一片にしか過ぎず、それを喪ったからと云って世界の何が変わる訳ではない。変わるのはただ、人の営みの1部だけだ。
世界は冷たい。そんな風に思った。
ここで雨でも降らせてくれれば、共に嘆いてくれているのだろう、と都合のいい事を考えられただろう。そんなのはただの感傷だと、知ってはいる。それでもそんな風に考えたのは、己が思う以上に失ったものの存在が大きかった所為だ。
(まいったな)
不意に、風が不甲斐無い背を叩く様に強く吹いた。
「こんな所で何やってんだ、おっさん」
それは実際に、叩かれていたらしい。恐らく自分に向ってかけられた声だ、ゆっくりと振り返ると背後からの風を受け長い黒髪を靡かせた青年が、呆れたようにこちらを眺めていた。青年は、ゆっくりと歩みを進めるとやがて肩を並べ、振り返り夕日に背を向けた己とは真逆を、夕陽に視線を向けている。横目でちらりと伺えば、それは睨みつけているようにも見えた。
「空気の読めない青年ねぇ。ここはこう、黙ってそっと優しく慰めてだな」
「…俺が、おっさんをか?」
「………。…女の子になってから、出なおしてらっしゃい」
お互い違う方向を向いたまま、そんな軽口をたたき合う。
どうやらこの青年は、意外にも心配してくれているようだ。そうでなければ、わざわざ宿を抜け出して様子を見に来る筈もない。
(全く、どこまで強いんだか。この青年は)
本来ならば、一番辛い立場に立たされているのはこの青年であった。なにしろ、自ら腹を切ったこの街の主の介錯を務めたのは、この青年なのだ。不本意ながらも、主を慕っていた街の人間から鋭い視線を向けられる事も、無くは無い。分かっていても今はまだ、誰もが感情を整理できる時ではないのだ。
それでも青年は、実に堂々としていた。
そう、見えていた。
(…そりゃそうか)
だが、不意に覗き見た彼の腕は微かに震えている。それに気がついた時、整理しきれていなかった頭の中が妙にすっきりと片付いた気がした。
この青年もまた、平静に見せかけても感情が追い付かないうちの一人だ。きっと、誰よりも重いものが胸の内に在るのだろう。
(それに比べ、情けないもんだ)
相変わらず、互いに視線は交わらないまま時が流れている。さて、ここはどうしたものかと考えた。素直に手の震えを指摘して、揶揄って気を紛らわせるべきか、それとも―――。
「青年。手、貸してみ」
「…はぁ?手、って」
「いいから、ほれ」
ようやく身体ごと青年へと向ければ、彼もまた、僅かに面喰ったようではあったが身体をこちらに向け、躊躇いがちに戦闘魔導器を嵌めている左腕を差し出してきた。いつも剣を握っている、彼の利き腕だ。
いつしか、夕焼けはゆったりと沈みはじめ辺りを染めるのは、赤ばかりではなくなっていた。じわりじわりと落ちはじめた闇に、何物にも染まらない青年の黒髪が、やがて溶けてゆくのだろう。風に靡くそれを眺めながら、差し出された掌をそっと己のそれで包み込んだ。
あまり大きさに、違いはない。
「…よっぽど参ってんのな」
「あのね…。ほんと、空気の読めない青年ねぇ」
とはいえ、確かに男の手を握るなど己でもどうかしていると思える行為だった。やはりここで、手が震えている事を揶揄ってやろうかとも思ったが雑念を押さえこむと、握った掌へと視線を落とした。
「……ありがとさん。今回ばかりは、頭が上がんないわ」
震えとは別に、ぴくり、と掌が揺れる。
どういう顔をしているのかは、見ない事にした。恐らく青年も、見て欲しくは無いだろう。それくらいは、察する事が出来た。
「いや、いつも上がってないだろ」
「だから空気を読みなさいってば…。まぁ、独り言だと思って聞いて頂戴よ」
相変わらずの調子に思わず笑みが零れそうになったが、裏腹に手の震えが止まっていない事が胸を突く。いったいどんな顔をしてこんな軽口を叩いているのだろうか、気にし始めると顔色を窺ってしまいそうになるので、ゆっくりと瞼を下ろした。そうする事で、握った掌の震えが余計大きく感じてしまった。
「本当は、俺がするべきだったのよね。そういう立場だったから。でも、名乗り出る事が出来なかった。怖かったのよ。情けない話だけど、怖かった。あのじいさんには世話になったから、恩返しだと思ってみても、俺は、あの人を斬る事だけはしちゃいけない。もし、そんなことしたら」
(多分、『レイヴン』という人間は居なくなる)
ギルドの人間として、最大の拠り所を己の手で消してしまえば、きっともう戻る事は出来なくなると、そう怯えてしまったのだ。それはシュヴァーンの功績になるだろう。それは、レイヴンとしての死とも等しい。それが、怖い。
(今更、死ぬのが怖いって?どうかしてる)
死人の分際で、今更何が恐ろしいというのか。
言葉が途切れて、沈黙が訪れた。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、いつの間にか視界はさらに暗くなっていた。そろそろユニオン本部へと戻らなければならなかった、まだやるべき事は山積みなのだ。
「まぁ、あれだ。兎に角、そういう事……」
不自然ながらも、常の胡散臭さで誤魔化そうとおどけて顔を上げようとしたが不意に握った腕を引かれ、己の意志とは関係なく顔が上向いた。額に、何かがこつんとぶつかる。ぶつかる、と言う程の衝撃ではない。何が、と思うより先に今度は唇に何かが触れた。
さらり、と己のものではない長い黒髪が頬にかかった事に気がついて、目の前にある輪郭すら捉えられないものが青年の顔だと気がついた。
「手、震えてんぞ」
「…だからって、おっさん相手にする事?」
「いや。何となく、そういう雰囲気かと思って」
あっさりと顔を引いた青年は、まるで答えになっていない言葉をやはりあっさりと返すと、するりと握っていた手を解く。その瞬間に気がついたのは、青年の震えが止まっている事だったか。それとも、思いの外その掌が熱かった事か。
(参ったね、これは)
その掌が、名残惜しいと感じた。
「ほら、レイヴン。いい加減戻らないと、仕事山積みだろ?」
解かれた掌は、今度は彼から差し出される。
レイヴンは、思わずため息を零した。思いの外振り回してくれる掌に、結局何度も救われている。もしかしたらこの掌は、最後の最後まで己を救ってくれるのではないかと、そう思い始めていたのかもしれない。
救いとは、他でもない。
「うへー。おっさんを酷使したら、過労で死んじゃうわよー」
いつか、その掌でこの茶番劇を終わらせてくれるのならば。
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